■実用的なのに手頃な価格を実現
当時はまだ職人が一点一点家具を作るの事が主流で、家具はとても高く、普通の人ではなかなかすぐに買うことの出来ないものでした。
「家具は人々を幸せにする」と信じていたモーエンセンは普通の若者でも良質な家具を買えるようにしたいという夢を持ち、それをかなえるために、FDBモブラーの初代企画デザイン担当責任者になりました。
モーエンセンとFDBモブラーとの関係は非常に良く、今まで大量生産出来なかった環境を変え、FDBモブラーの基盤をつくっていくことになります。
■ウィンザーチェアにヒントを得たシンプルで美しい造り
J52は当初"J6"としてデザインされ、その後座面の変更やディテールの変更があり、品番が変更になりましたが、FDBモブラーの一番はじめの広告にも登場し、その後もポスター等に採用されるなど看板的な商品として人気を集めました。
コーアクリントの教えから、"J52"はイギリスのウィンザーチェアにヒントを得て、シンプルで美しく作りやすい、当時のデンマークの世相に合わせリデザインされたスポークバックチェアです。
■4本脚"J52B"、ロッキング"J52G"の2タイプがあります。
"J6"から"J52"になった際に新しくロッキングするタイプの"J52G"も開発され、通常タイプの"J52B"と共に、FDBモブラーの代表的な椅子として時代を牽引しました。
FDBモブラーの顔であったデザインなので、最後まで残し一番はじめに復刻された中のひとつとなっています。
■デザイナー
Poul M.Volther (ポール・M・ヴォルタ) 1923-2001
ハンス・オルセンの工房で修業した後The School of Arts and Craftsを卒業、マイスターの資格を得る。
卒業後はThe Danish School of Art and Desigで教師として若手デザイナーの育成に尽力した。
1949年にウェグナーに紹介され、FDBに入社。
1950年にモーエンセンが勤めていた企画デザイン担当責任者を引き継ぎ、彼の「家具は人々の生活を向上させる」という信念も同時に引き継ぎ、指針とする。
モーエンセンが家具により行った人々への職や金銭の確保でなく、手に取りやすい機能性とシンプルさ、手軽さを強調した「J46」はFDB最大のヒット商品といわれており、1950年代のデンマーク家具職人ギルドの展示会では毎年のように出品されていた。
1956年にFDBを退職すると同時にデンマーク国内の応用芸術学校で再び教師となる。
彼の指導によりそのシンプルなデザインをベースとして用いるデザイナーは多い。
デザイン・機能面では完璧主義で、流行などの短命な家具を嫌がり、丈夫でシンプルなデザインを多く遺している。
ウインザー家具を源流とする現代スウェーデン風のペグチェアをモデルとし、デンマークの人々の暮らしの質を向上させた。
代表作に『J46』『J48』『コロナチェア』などがある。
■FDB Møbler(FDBモブラー)
日本が江戸時代後期であった1866年。
デンマークでは一般の人々が日常に不可欠な食品をより最適に入手出来るよう、地域神父クリスチャン・ソンネが流通の仕組みを構築し、FDBの前身となる協同組合を結成しました。
その後、デンマークのユトランド半島で日常生活協会を統括していたセブリン・ヨーエンセンは、ソンネが発足したような仕組みを持つ様々な分野の協同組合を一つに束ね、1896年1月1日にFDB=デンマーク生活協同組合連合会を設立。
1942年にインテリア事業の角度から消費者の生活水準向上を目指し、FDB内に家具部門が組織化されFDBモブラーは誕生しました。
「丈夫で、美しく、機能的、そして手軽な価格」という当時としては画期的で過酷な開発条件のもと、妥協のない商品開発と職人たちの巧みな技術力、北欧の歴史や地勢によって育まれた文化、その全てが必然性を持って混ざり合い生まれたFDBモブラーの家具は、デンマーク国民の暮らしをより豊かなものへと変え、それはまた人々の 美意識をも向上させることに繋がりました。
デンマーク近代家具の父と称されるコーア・クリントに師事したボーエ・モーエンセンがFDBモブラーの初代企画デザイン担当責任者に就任し、ポール・M・ヴォルタが2代目を務めました。
ハンス・J・ウェグナーなど、名だたるデザイナーがプロジェクトメンバーに名を連ね、数々の名作を世に送り出し、それらはその後に生まれた デンマーク家具の模範となり、今日目にする数々のデンマークデザインが生まれたのです。